私的HTML論

正しいHTMLは何故悉く無視されるか。初心者はHTMLをどう學ぶべきか。

HTMLに對する認識

HTMLを書くのは、簡單ではないと思つてゐる。HTMLは、既存の文書に潜在的に存在する論理構造を明示する物であるから、正しい文書を書く事は必要不可欠である。初めにテキストが有る事が大前提だと思ふ。

HTMLは簡單ではない。其れは、正しい文書を書く事が簡單ではないからである。

文書に對して、記號(タグ)を用ゐる事によつて、其の論理構造を明示する。其処に有るもの(論理構造)に形を持たせる(詰まり、明示する)爲の記號がタグである、と認識してゐる。

巷に蔓延る駄目HTML講座

巷に溢れてゐるHTML講座は、大概駄目である。間違つた事を平氣で教へてゐる。そもそも、以下の樣な記述の有るサイトは信用すべきでないと思ふ。

とまあ、數へ擧げればキリが無い程出鱈目な説明をしてゐるサイトが多い譯だが、何故こんな事に爲つてゐるのか。

結局、「表示されれば良い」と思つてゐる人が居るから、fontを亂用したり、論理構造を無視したりする譯だ。論理構造を明示する爲のHTMLが、其の文書の論理構造を無視してしまふ等以ての外だ。さう云ふ「表示重視」の考へのサイトを見て、其れを鵜呑みにする初心者が居るから、昨今のHTMLは非常に可笑しい事に爲つてゐるのだと思ふ。

此処で書くのは、巷の駄目サイトの間違ひの指摘ではないので、上の例文の誤が誤である理由は省略する。

初心者はどう學ぶべきか

初心者にとつて、HTMLとは、「必ず學ばなければならない」ものでもないし「學ばないと困る」ものでもない。故に、一つの意見を鵜呑みにしてしまふ。正しいHTMLを書く事の價値を分からなければならないと思ふ。

いつその事初心者は、そこらへんのHTMLエディタ(WYSIWYG)を使つて仕舞へば良いと思ふ。HTMLエディタが吐くソースは酷いものであるが、初心者はHTMLを意識しなくて構はないし、囚はれる事も無い。幸せである。そして何時か、HTMLエディタの限界を感じて、今迄HTMLエディタに吐かせてきたソースを逐一修正して行く苦しみを經驗することで、正しいHTMLを書く事に價値を見出せると思ふ。

正直、自分も其の一人である。其の時は、本當に恥ずかしい思ひで一杯だつた。こんなHTMLを公開してゐる事が情けなく感じた。其の時に、HTMLを正しく書く事に價値を見つけた。もう自分から見ると、駄目なHTMLを教へてゐる人々は、詐欺師なんかの類と同じ樣にしか見へない。自らの認識を全て正しいと決め込んで、何も知らない初心者に吹き込んでゐるのである。きつと、今、自分の誤解に基いて、駄目なHTMLを書いてゐる人は、「W3C」と云ふ團體を知らないんぢやないか、とも思ふ。

詰まり、見聞を廣くする事が大事だと思ふ。發想を轉換してみる必要が有ると思ふ。一つのサイトが教へてゐる事を妄信してしまふのでは駄目だと云ふ事だ。發想を轉換すると云ふ事は、難しい事である樣に思はれる。發想を轉換させる爲には、何らかの切缺が必ず必要だと思ふ。其の切缺と爲り得るものが、失敗なのではないか、と考へてゐる。失敗した時にこそ、別の道が見へて來るものではないか、と思ふ。一方に偏るのは、良くない。樣々な範囲から、樣々な情報や、色々な人の意見を知つて、一つずつ吟味してゐくのが大事だと思はれる。


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