動機・根據・今後を述べようと思ひます。
※管理人は未だ完全に正字・正假名を理解出來てをりません。誤りを含む場合が有りますので、發見した方は、御知らせ下さい。
一つは、或るWebページからの影響が大きいです。見たWebページは二つです。
何れも、何氣なく覗いた、或いは見たWebページで、此れを見る前は、假名遣ひを意識してをりませんでした。と云ふか、學校で習ふ迄、存在を知りませんでした。
大體、自分は(他の人は如何か分かりませんが)或る事柄に於て、最初に知つた事を正しいと思ひ込んでしまひます。其れが、誤つた知識で有る場合に、其れを是正するのには、結構時間を要します。實際、學校で正假名を「歴史的假名遣ひ」として習つた時は、「歴史的假名遣ひが間違つてゐるから現代假名遣ひが誕生したのだらう」と云ふ思ひ込みをしてをりました。今からすれば、考へられない事です。
其処で、ふと見た二つのWebページ。此処を見て、先ほどの考へを、轉換する事になりました。
自分が、正假名遣ひの存在を知つたのは、學校で習つたからです。「竹取物語」を學びました。
「現代かなづかい」及び「常用漢字」「当用漢字」に反對してゐます。
「現代かなづかい」は、矛盾が目立つ内容です。と云ふのも、原則を提示してゐるにも拘らず、其れに對する例外が多いです。即ち、原則が直ぐに破られてゐます。一貫性が無く、使ひ辛い假名遣ひとなつてゐます。昭和二十一年に初めて制定された、「現代かなづかい」には、かう書いて有ります。
国語を書きあらわす上に、従来のかなづかいは、はなはだ複雑であって、使用上の困難が大きい。これを現代語音にもとづいて整理することは、教育上の負担を軽くするばかりでなく、国民の生活能率をあげ、文化水準を高める上に、資するところが大きい。それ故に、政府は、今回国語審議会の決定した現代かなづかいを採択して、本日内閣告示第33号をもって、これを告示した。今後各官庁においては、このかなづかいを使用するとともに、広く各方面にこの使用を勧めて、現代かなづかい制定の趣旨の徹底するように努めることを希望する。
内閣告示其の物が矛盾してゐる事が分かりますか。かなづかい
、もとづく
と云ふ語は、「現代かなづかい」に於ては、「かなずかい」、「もとずく」と書かれる筈であり、矛盾です。
また、「現代かなづかい」は、政治的に、内閣の訓令で替へられた物です。いつ何時内閣の訓令で替へられても、可笑しい事ではありません。併し、長い長い歴史の中で、自然に作り上げられた正假名遣ひは、其の時々の情勢・政治に據つて、變革する事は有りません。將來的に、安定してをり、變はる事無く安定してゐます。據つて、安心して使ふ事が出來ます。永續的に後世に殘される文書は、安定した假名遣ひで表記して方が良いと云ふのは、當然の事でせう。
以下に、「現代かなづかい」の問題點を示します。
一部の助詞とは、「を」「へ」「は」です。此れ等は、助詞として讀むとき、「お」「え」「わ」と發音します。此処で、「現代かなづかい」の一字が一音に對應してゐる、と云ふ原則は崩れてゐます。助詞として、「お」「え」「わ」を「を」「へ」「は」と書くのは、正假名と同じで、文字が、「發音」を表す物ではなく、「意味」を表す物であるからです。「助詞」としての意味を、「を」「へ」「は」は荷つてゐるのです。
表音主義者について、述べます。
表音主義者の主張の一として、「表音文字だけで表記するべき」と云ふものが有ります。此れは、意味に基いて讀む「漢字の廢止」を主張する事になります。據つて、此の文章の樣な、「漢字かな交じり文」は、表音主義の立場からは否定されます。
「漢字を廢止すべきだ」と云ふ表音主義者が主張する、「正しい日本語の表記」は、「カナモジのみの表記」か「ローマ字表記」になります。カナモジのみ、ローマ字、何れも、「漢語」と「歴史的假名遣」が障碍になります。其処から、「漢語に代はる語彙の創出・選定」と、「漢語依存の文體改革」が求められます。結局其れは、「新しい日本語」を創り出すと云ふ事になります。
表音主義者が主張する、表音主義にも長所が有るさうですが、何れも長所とは言ひ難いです。
文字數は、確かに減らせます。ローマ字表記を採用したならば、文字セットは、ASCIIで濟みます。英字が有れば十分と云ふ譯です。カナモジを採用しても、文字數は減ります。併し、結果として、コンピュータの處理が輕くなるか、と云ふ事です。詰まり、文字數が多いからと云つて、現在のコンピュータの處理は極端に遲くなつてゐるか、と云ふと、そんな事は有りません。寧ろ、漢字假名交じり表記の方が、データの總量では、輕い事が多いです。
慥かに、徹底された表音主義は、現代仮名遣いとは違ひ、ダブルスタンダードから免れてゐる點で、マシです。併し、表音的な假名遣と云ふのは、只の發音記號に過ぎないのです。
自分は、誰にも、「正字正假名」を使へ、と言つてはをりません。其の正當性を主張してゐるに過ぎません。個人個人がどう云ふ表記を用ゐようが勝手です。ただ、現在廣く使われてゐる「現代仮名遣い」は、間違つてゐるのだ、と主張してゐるだけです。一般の人々が、無理矢理誤つた日本語の表記を押し付けられてゐると言つてゐるだけです。
國語問題協議會は、常用漢字を以下の樣に皮肉つてゐます。以下の樣な「無い無いづくし」の状況は、間違つてゐる、或いは、可笑しいと思ひます。
犬があつて猫がない。鶏があつて兎がない。馬があつて鹿がない。松があつて杉がない。桃があつて栗がない。梅があつても鶯がない。竹があつても雀がない。砂があつて泥がない。霧があつて霞がない。虹がない。峯があつて麓がない。君があつて僕がない。我があつて汝がない。彼があつて誰がない。好きがあつて嫌ひがない。才があつても智がない。服があつても靴がない。坊主があつても袈裟がない。衣はあるが袖がない。身頃もない。頭があつて頸がなく、皮膚はあつても肌がなく、目があつても瞳はない。
……昭和五十六年告示の「常用漢字表」は約百字を追加したものの(上例の「猫杉栗泥虹僕嫌靴肌」は入つた)、「無い無いづくし」の状況は大して變つてゐません。
正字正假名の正當性の主張をしてゐく積もりでをります。