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「當たり前」を疑へ

「新しいもの」「身近にあるもの」「當たり前のもの」は、使ひ易い。だから、正しい。と、かうも簡單に割り切つて良いものだらうか。

「当たり前」の「現代仮名遣い」を疑へ

今使つてゐる表記法は、使ひ易い。だから、正しい。だから、「現代仮名遣い」は「当たり前」だ。「当たり前」なんだから、正しいだらう。

誰もが思つてゐるだらう。が、さう安易に決め付けるのは良くない。一度よくよく考へてみると良い。何処かをかしい部分は無いか、一度探求するのも良い。當たり前だから、鵜呑みにしたり、安易に受け容れたり、ではいけない。きつと、自分が使ふかなづかひを疑ふ人はゐないだらう。何故ならば、戰後の國語國字改革後に生まれた人にとつては、「現代仮名遣い」「現代かなづかい」が當たり前であり、正字正かなは、「異常」だからである。

併し、良く考へれば、いや、常識的な事ではあるが、戰後の國語國字改革前は、正字正かなこそ當たり前であり、表音的な假名遣ひ、或いは、其れを目指すと云ふ事は「異常」なのである。

國語國字改革論者からすると、「現代仮名遣い」は、過渡的なものに過ぎず、此れで終了ではない。なぜなら、國語國字改革論者が「現代仮名遣い」の先に目指すのは、表音式假名遣ひであるからである。

「當たり前でない事」を見よ

「歴史的仮名遣い・旧字体なんていうのは普通じゃない。だから、おかしい。使うべきじゃないし、使うなんて異常だ。」

此処迄行かずとも、少なくともかう云ふ風に思つた事が有る人、思つてゐる人は結構多いだらう。併し、當たり前でないものが使ひにくく、異常に見えるのは、「当たり前」に慣れてゐるからであります。例外が多く、原則も破られ、甚だ分かり難い「現代仮名遣い」も、慣れれば使へませう。慣れとは恐ろしいものであると思ふ。

先づ遣つてみる

先づ、騙されたと思つてでも、「現代仮名遣い」を見直して、正假名遣を知つてみて欲しい。學ぶだけでなく、國語國字問題について述べた本を讀むとか、國語國字問題について述べたウェブサイト(此処もさうだが)を閲覽するとか、一度遣つてみて欲しい。「現代仮名遣い」の不合理、正かなづかひの合理性、正かなづかひによる古典と一般人との關りの大切さ。其れを、少しでも分かつて欲しい。「古典なんて專門家に任せれば良い」では駄目なのです。一般の人も、專門家も、同じ文字組織・言語組織に生きる事が重要だと、福田恆存氏は述べてをります。