公開日
2007-07-04
2007-07-06 15から17にかけてを追加
公開元
灰塵

私は訴へる

1.正假名遣は讀めぬか

正假名遣は發音通りに書かぬから讀みにくいと人は言ひます。ならば、何故その人たちは「私は」を「わたしわ」と讀むことに疑問を呈さないのでせうか。助詞「は」を「わ」と讀むことと、「言はない」の「は」を「わ」と讀むことに、其處まで違ひがあるでせうか。

2.先進國の國語は皆表音的か

英語は表音文字のアルファベットを使つてゐるから表音的だ。だから、アメリカは世界一の大國なのだと人は言ひます。その人たちは、英語が表音的でないことを知りません。普通に習へば分る筈であることが分らないといふことは怠惰でせうか。

meanといふ動詞があります。カタカナ表記すると發音は大體「ミーン」となります。之が活用して過去形になると如何なるでせうか。meantとなります。meantは如何發音するでせうか、「ミーント」ですか?いえ、違ひます。之はmeantと書いて「メント」と讀みます。之は、meanといふ語意識が働いた結果、meantは音こそ違へど「mean」部を維持したと言へるでせう。

3.正漢字は難しいか

正漢字は畫數が多いから難しいと人は言ひます。併し、明かに體系に矛盾を殘す漢字を覺えるより、畫數が多くとも體系的に整つてゐる漢字の方が覺え易いし、簡單でせう。少くとも、人間の腦は正漢字の方を受け入れる樣に出來てゐます。子供も、畫數が多くても正漢字の方を覺える筈です。

體系的に整つてゐるといふことは、當然パソコンでも扱ひ易いといふことになります。單純な記憶もPCの得意とするところですが、體系的に整つてゐる漢字の方が遙かに假名漢字變換等の能率も上がります。

4.「現代かなづかい」は存在し得るか

戰後の國語國字改革が行はれる迄、社會一般に行はれてゐた假名遣は正かなづかひでした。當然混亂はありました。併しそれは當時のア育がなつてゐなかつたといふことも有ると思ひます。

さて、現在存在してゐるものを變へようと思ふならば、その新しい存在となるものが、舊い存在よりどういふ點で、どういふ風に優れてゐるかの根據が必要になります。果して「現代かなづかい」にその根據はあつたと言へるでせうか。

5.政府策定の表記を無抵抗に受け入れるのは怠惰ではないか

戰後の國語國字改革は如何にも酷い手口で行はれました。福田恆存氏の言ふとほり、其れは人々の關心が衣食住にかかづらひ、生きる事に必死になつてゐる時に行はれてしまつたものです。

併しもう半世紀が經ちました。何故皆「現代仮名遣い」に就いて考へないのでせうか。

6.「浸食」はをかしいと思はないか

書き換への問題。侵蝕は、「侵して蝕む」意があります。之を書き換へて「浸食」とすると、「浸して食べる」意になつてしまひます。之では漢字の表意性が全く無駄に、いや、表意性があるがゆゑに分り難くなつてゐるではありませんか。

漢字は表意文字なのですから、使用する際はその意味に氣を遣ふべきではありませんか。

7.あなた方は「改竄」が讀めないのか

交ぜ書きの問題。如何して「改竄」が讀めないのでせうか、いや、讀めるでせう。なのに何故新聞は「改ざん」と書くのでせうか。こんな書き方をしたのでは「ざん」部の意味が全く分らないではありませんか。「改竄」が讀めなくとも「竄」といふ手がかりがあるではないですか。

あなた方は「拉致」「熾烈」「拮抗」が讀めぬのか。「ら致」「し烈」「きっ抗」がみつともないと思はぬのか。

8.ローマ字は外國人に易しいか

ローマ字で日本語を表記すると外國人に分り易くなるのですか。なる訣はありません。其れは「英語の發音をカタカナで示されると意味が分りますか」の問と同じで、カタカナで示されても分らぬものは分らぬのであります。

それに、外國人に親しんで貰ふ爲にローマ字して、「ローマ字にしたので日本語に親しんで學んで下さい」と外國人に頼むやうな言語に日本語をしたくありません。日本語を學ばせる爲には、日本がもつと魅力的になるべきではありませんか。

9.假名遣は表音的であるべきか

假名遣の起源は、それまで音どほりに書けばよかつたのが狂ひ出したところにあります。詰り、表記の混亂が原因となつてゐる訣です。其處で、語を書き分ける爲に初めて生れたのが「假名遣」といふ概念です。

語を書き分ける爲の假名遣が表音的で如何するのでせうか。語義を一とするのが假名遣です。

10.古典學習の爲の「歴史的かなづかい」學習は二度手間ではないか

私達は小學校で「現代仮名遣い」を學びます。そして中學校で古典を學ぶ爲に「歴史的かなづかい」を學びます。之を二度手間と思ひませんか。古典と常用の假名遣が同一であれば、斯樣に面倒なことはしなくてもよいではありませんか。

11.日本人の怠惰こそ問題ではないか

今自分が問題なく書けてゐればそれで良いのですか。一般の人々は。其れは餘りに自己中心的ではありませんか。何故自らの表記に就いて考へないのでせうか。

「今書けてるんだから良いや」と言ふ人の態度こそ、問題ではないでせうか。

12.漢字は外來語か

確かに之は中國から傳來した文字であります。當然其は外來語と見做して良いのですが、現在は如何でせうか。はじめは、其の音を拝借し、使つてゐたものを、訓をつけ、「漢語+する」といふさ變動詞を作り、といふ風に日本語に採り入れて日本語化したのであります。此處に現在横行するカタカナ語との違ひがあります。

此の事から、日本で使はれてゐる漢字は既に日本語となつてゐるといふ事が出來るでせう。

13.差別廢止を訴へる人が差別をして如何するのか

頻りに「差別はいかん」「絶對に差別だけはやつちやあならぬ」と言ふ人が、正字正かなを用ゐる人を差別してゐます。勿論現在は「現代仮名遣い」が社會的に、政治的には正しい假名遣です。併し、個人の領域で、論理的に正しい假名遣を求めてはならぬのでせうか。

14.漢字を制限する意義は何か

漢字を制限して如何する積りなのでありませう。漢字を制限する意義は何なのでせう。漢字制限など無くとも、自然淘汰されるものはされて行きます。さういふ流れで言語の形が變ることは別にをかしいことではありません。言語がさうなつていくものであれば。其を人爲的にやるから問題があるのです。

漢字の數と、國が榮えるか如何かに關係はありません。ア育と國が榮えるかに關係があるだけです。

15.言葉を蔑ろにするな

漢字は數が多いから學校ア育でアへきれない、だから國語國字を簡略化する。で良いのでせうか。ア育の爲に言葉があるのですか。違ふでせう。私達の使ふ言語はさういふものなのだとし、ア育を變へて對應するべきではありませんか。義務教育を1年早く始めるとか、中學校を4年にするとか、さういふことで工夫出來るでせう。

16.漢語は封建的か

封建時代、武士達が農民との差別化の爲、態々漢語を用ゐてゐた、だからそんな差別的な漢語は要らん、といふ主張があります。併し、先づ國々の出入りを禁止した爲地方の方言差が激しくなつたといふこと、更に參勤交代で地方の武士が江戸へ赴いた際、方言のせゐで全く言葉が通じなかつたといふことがあります。さういふ理由から、全國で共通の漢語を用ゐる風潮が出て來たのです。

17.語幹の破壞をなんとも思はないのか

「ありがとう」「おはよう」「うつくしゅう」……。之等の語は語幹の破壞が行はれてゐたり、語幹と活用語尾の境が全く分らなくなつてをります。學生は、之を學んでなんとも思はないのでせうか。國語の先生も之をアへて何故平氣な顏でゐられるのでせうか。

私の先生は「本來なら『ありがたう』ですが、『現代仮名遣い』では『ありがとう』です。」と言ひました。之は國語の先生が自ら、「現代仮名遣い」は語幹を破壞してゐるが、「正假名遣」はちやんとしてゐると言つてゐるといふことです。其なのに何故皆何も氣付かないのですか。